もとは千利休の訓をまとめた『利休道歌』にある、「規矩作法 守り尽くして破るとも離るるとても本を忘るな」を引用したものとされています。
個人のスキルを表すため、茶道、武道、芸術等、あるいはスポーツや仕事等々において様々な成長のプロセスに用いることが出来、以下のように当てはめることができる。
守:支援のもとに作業を遂行できる(半人前)。
~ 自律的に作業を遂行できる(1人前)。
破:作業を分析し改善・改良できる(1.5人前)。
離:新たな知識(技術)を開発できる(創造者)。
また、「本を忘るな」とあるとおり、教えを破り離れたとしても根源の精神を見失ってはならないということが重要であり、基本の型を会得しないままにいきなり個性や独創性を求めるのはいわゆる「形無し」である。
出典:守破離https://ja.wikipedia.org/wiki/守破離
だそうです。
私自身、小学生から地元で教わり、高校生の頃、プロの方に太鼓を習っていましたが、その頃は、「守」だったと思います。教わった事をちゃんとできるように切磋琢磨してました。
その後、地元で盆太鼓を教えていました。
まさに試行錯誤しながらです。
私自身、器用な方じゃなく、苦労しながら、どうすれば上手く叩けるようになるのか考えながら叩いていました。
その時の知識や経験が結構役立っています。
教えている時は、説明するのに頭を整理す必要があり、いろいろな事に気が付いていきました。
また、自分では無意識にやっていることも、出来ていない人に説明する事によって、気が付くことが多かったです。
説明するのに、高校の時に勉強した物理を使ったり、分析しながら本質を理解して、分かってもらうために、表現や教え方を工夫しながら教えていました。教わった事をベースに、自分自身で研究し考えていました。
まさに、「破」だと思います。
この頃、技の一つ一つを分解して教えていくことで、新たな組み合わせや、組太鼓の技を盆太鼓に応用したり、と自分なりの盆太鼓ができたように思えます。八木節の縁打ちについては、教わったのではなく、自分なりに工夫して考えたものです。既にやっていた人もいるかもしれませんが、教わったわけでもないので、オリジナルだと思っています。「離」なのかなと思っています。
「本」として、けして変えてはいけない大切にしている事は、「盆太鼓は、盆踊りの方が踊りやすく叩く。」です✨盛り上げるために色々な技を駆使しますが、踊りやすさを大事にしてます。
このブログは、今まで、地元やプロの方に教わったことを自分なりに解釈し、自分なりに出した結論を元に書いています。持論なので、諸説ありといったスタンスで、見てもらえると嬉しいです。
太鼓を教えていると思うのが、子供の吸収力が凄いことです。
4,5年も教えていると、教えることがなくなってくるんですよね。教える僕の手持ちの技も無くなってしまいました。
「守」の段階が終わったのかもです。
その子は、「破」の段階に入ったのではないかと思います。
「破」は、その子自身で、気が付いて考えていかなきゃいけないので、私自身どうやって指導していけばいいか悩みどころですね。
リーダーをやらせたり、小さい子を教えさせたりと、気付くきっかけを作ってはいますが、難しいですね。
どなたか、アドバイスよろしくお願いします。
【追伸】
熱中症怖いですよね、外で作業している時に飲んだ水が、普通の水なのに甘く感じるほどでした。
今の時期、水は大事ですけど、持って帰るの大変ですよね。
防災の備蓄用としても、お水の確保は大事だと思います。

サントリー天然水 ラベルレス 段ボール無しでお届け(エコフィルム包装) 2L×9本 南アルプス【Amazon.co.jp限定】 まとめ売り実施中
新品価格
¥1,167から
(2025/8/15 13:22時点)
